2013年7月3日
自分にない、不得意なムーブが2箇所で出てくるライン、不得意な部分は気持ちの焦りからどうしても必要以上のエネルギーを投入してしまって、その後のパートの登りに濃く影を落としてしまう。ムーブはできる、登りきるだけの十分な能力を備えているはずなのに登れないのは、この気持ちの焦りをコントロールできない故に、随所で無駄なエネルギーをロスしてしまってるから。これを自分のOKラインのムーブにまで落とし込んで気持ちの独り走りをを馴らすのがトレーニング。
気持ちのコントロールを強く意識してトレーニングすると、身体もコントロールされて、登りに使う筋肉群も(完璧じゃないけど、)最適化されたものに近くなってくる。結果、高い次元のトレーニングが出来る。
登れないときに欠けているものは、大抵の場合「保持力」とか「持久力」とか「体力」とかそういった誰かに名前を付けられて一般化されたものじゃなくて、もっとよくわからない、自分の内にある、「何か」。
「何か」は、自分の気持ち-メンタルの中に居座っていて、こいつが完璧にコントロール出来るなら、たぶん世界で最も難しいグレードの課題が、指が折れるとか無い限り軒並み登れるはず。
言い替えれば、トレーニングはこいつが何者なのかの探求で、こいつの攻略になってくる。今のところ、こいつにも体調の良し悪しがあって、バイオリズムがあって、それは自身の体調・メンタルに関連が無いわけではないのだけど、彼には彼自身の周期があるようにも思う。ちょうど気の合わない友人と付き合ってる感じ。
とにかく、トレーニングの核となるのは、名前のついた一般化された能力を一生懸命鍛えることじゃなくて、この「友人」を追い込んで、その姿を明らかにすること。「彼」は体力的にも精神的にも限界まで自分を追い込んだときに、やっとはじめてチラリと顔をのぞかせる。もっとよく見て彼を研究したいけれど、自分をその限界点に留まらせておくにはあまりに力不足で、その為に、「彼」をよく観察するために、もっともっとトレーニングが必要になってくる。
自分の内の、「彼」をコントロールすること。名前のついた能力を鍛えたところで彼の正体は一向に明らかにならないし、「クライミング」の向上には結びつかない。だからちょうど「彼」は「クライミング」に等しいのかも知れない。